旧別子は元禄4年の開坑から明治32年まで銅山の中心で、歌舞伎も上演される1万人を越える街がありました。
世界一の産出量を誇った別子銅山は、238年の長きに渡る歴史を産業遺産として市内のいたるところに残しています。
標高750mにある東平は、大正5年から昭和5年まで、社宅・小学校・劇場・接待館が建てられ大変賑わっていました。
勇壮華麗、豪華絢欄な「男祭り」としてに知られる新居浜太鼓台は、毎年10月中旬に50余台が市内を練り歩きます。
幕末・明治の動乱期に、別子銅山をまもり、近代化を推進した広瀬宰平。宰平の足跡を通して新居浜の歩みをたどる施設です。旧広瀬邸は国の重要文化財に指定されています。
別子銅山の意義を後世に伝えるため、住友グループによって、昭和50年に開館されました。開坑以来の歴史、地質鉱床、生活風俗、技術に関する貴重な資料を展示しています。
森林公園ゆらぎの森は、赤石連山の四季折々の景色が望める標高780mに位置しています。山間の生活風土や、自然環境保護の大切さを学びながら楽しく遊ぶ施設です。
別子銅山採鉱本部跡を利用した別子銅山テーマパーク。銅山の歴史をや生活を学べる観光坑道、砂金採り体験、天然鉱泉を利用した温泉、全天候型遊戯施設も備えています。
多目的ホール・美術館・太鼓台ミュージアム、太鼓祭りを体感できるシアター、別子銅山や多喜浜塩田など地元の歴史や自然を紹介する新居浜ギャラリーなどを備えています。
市の北東約1.5kmの海上に浮かぶ大島は、周囲9.8km、伊予水軍の頭領であった「村上義弘」生誕の地とも伝えられ、伊予水軍の遺跡が今も残っています。
愛媛県の生涯学習の拠点施設。館内には、自然館 、科学技術館、産業館の3つの常設展示室があります。世界最大級のドリームスクリーンをもつプラネタリウムも備えています。
半円形のやしの木ビーチでは夏期は大勢の海水浴で賑わいます。夜間照明付きのイベント広場や多目的グラウンド、ビーチバレーコート、キャンプ場などを備えています。
赤石山系・法皇山脈。この山々を囲むようにして、国領川と銅山川をつなぐ全長65kmのドライブコースが絶景。四季折々の花が楽しむことのできる「別子・翠波はな街道」です。
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