歴史概要

太鼓台の起こりがいつであるかはっきりと答えられる資料は、現在のところ確認されておりません。地域の伝承によると、祭礼の時、神輿に供奉する山車の一種で信仰を対象にした神輿渡御の際、その列に参加して厳かに供奉していたものといわれ、起源は平安時代あるいは鎌倉時代まで遡るといわれています。
新居浜地方の太鼓台は、もともと豊年の秋を感謝して氏神に奉納していたものでした。
太鼓台が記録の上で出てくるのは江戸時代後期、文政年間のことです。
幕末から明治時代初期の太鼓台は、現在の子供太鼓台くらいの大きさしかなく、天幕も現在のような膨らみをもちませんでした。
別子銅山の開坑による産業の発展に伴い、地域経済が発達するにつれて、太鼓台は、明治中期以降から急速に大型化し、明治中期から昭和初期の太鼓台は、現在の太鼓台と同じくらいの大きさになり、天幕も膨らみを持ったものを付けていました。飾り幕は少し薄めでしたが、現在のものにかなり近いものになりました。
現在では、瀬戸内海沿岸にある数多い太鼓台の中でも新居浜太鼓台は、その豪華絢爛さ、勇壮華麗な「男祭り」の主役として、全国的にも知られるようになりました。

 

太鼓台のサイズ

高さ 約5.4m 約3.4m
長さ 約11m 重さ 約2.5トン
指揮者 通常4人 太鼓係り 通常2人
重係り 通常4人 かき手 150人

 

主な見所

 

市内で活躍する祭り職人

江戸時代後期の文政年間より登場する太鼓台は、明治中期以降巨大化し、その構造もしっかりとした物になりました。
そして現在、勇壮華麗な新居浜太鼓祭りは、四国三大祭りのひとつに数えられています。
そして、その陰には、300年の伝統を支え続ける多くの人達の心と技が、脈々と流れています。
太鼓台は、それぞれの地区の自慢であり、特に飾り幕は、話題の中心にあり、それぞれが豪華さを競うと同時に、保存には気を遣っています。
独特の立体刺繍が施された飾り幕は、年間を通じ、熱心な地区の人達の手によって、手入れがおこなわれますが、激しい祭りの動きや、年数をかさねて古くなったものなど耐えきれず、破損したり、変形したりすることがあります。

太鼓台の顔である飾り幕の修理や新調は、細心の注意と技術を必要としますが、市内在住の祭り職人たちは、自信と誇りをもって、これに応えています。
文化と伝統を守り続け、飾り幕の立体刺繍の技術を継承するために………

 

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