新居浜太鼓祭り1

新居浜の太鼓台は、もともと豊年の秋を感謝して氏神に奉納していたものでした。
地域の伝承によると祭礼時、神輿に供奉する山車の一種で、信仰を対象にした神輿渡御の際、その列に参加して奉納していたものといわれ、起源は平安時代、あるいは鎌倉時代まで遡るといわれています。
太鼓台が記録の上で出てくるのは、江戸時代後期の文政年間(1818~1830年)のことで、この頃は「神輿太鼓」と書かれることが多かったのですが、時代を経るにつれて「太鼓台」あるいは「太鼓」とされることが多くなってきました。
幕末から明治時代初期の太鼓台は、現在の子ども太鼓台くらいの大きさしかなく、飾り幕は薄めで天幕も現在のような膨らみをもちませんでした。しかし、別子銅山の隆盛とともに、市民の暮らしも豊かになった明治の中期以降から太鼓台も急速に大型化し、昭和初期には現在の大きさくらいになっています。また、飾り幕も縫いの発達とともに豪華に天幕も膨らみをもったものを付けるようになりました。
現在では、瀬戸内海沿岸にある数多い太鼓台の中でも、新居浜太鼓台は、豪華絢欄、勇壮華麗な「男祭り」として全国的に知られるようになり、毎年10月中旬の祭りの期間中、県内外から大勢の観衆を集めています。
伝続と観衆を酔わせてやまない魅力ある祭りとして、徳島の阿波踊り、高知のよさこいまつりとともに四国三大祭りのひとつに数えられています。
新居浜太鼓祭りは、市内に53台の太鼓台があり(2015年現在)、各地区でそれぞれの特色を活かした統一寄せ(かきくらべ)を行っています。
「盆・正月には帰らずとも、祭りには帰る」と全国から帰郷する人たちも多く、「新居浜っ子」は勇壮な太鼓祭りを毎年楽しみにしています。

 

太鼓台の各部名称とサイズ

新居浜太鼓祭り2

高さ 約5.4m 長さ 約12m
約3.4m 重さ 約2.5トン
指揮者 通常4人 太鼓係り 通常2人
重係り 通常4人 かき手 約150人

 

主な統一寄せ会場

新居浜太鼓祭り3

 

祭り職人

「伝統を継ぎ技を注ぐ」

新居浜太鼓祭り4

「職人」とは、自ら身に付けた熟練した技術によって手作業で物を作リ出す事を職業とする人の事である。
「金鱗」の合田氏は正に、祭り職人の一人だ。一切の妥協を許さないその卓越した技で、一旦引き受けた仕事は自分が納得できるまで取り組む信念を持っている。太鼓台の中で圧倒されるのが、独特の厚みのある立体刺繍の飾り幕だ。その厚さは優に30センチを超える。金糸、銀糸を一針一針縫い込んでいくのだ。様々な角度から織りなすその彩りは、独特な造形美と迫力に満ちている。
新居浜市内でそれぞれの地区で保有している太鼓台は53台(平成二七年現在)、飾り幕には決して同じ物は無い。その地区の伝統と拘りが飾り幕の姿として祭りを彩っているのだ。
豪華絢欄、勇壮華麗な「男祭り」として全国的に知られる新居浜太鼓祭り。身体の芯まで響き渡る太鼓の音。指揮者の合図で200人余のかき夫が息を一つにして一斉に担ぎ上げる。
四隅にある房が乱舞する様は正に、太鼓祭りの見所の一場面だ。しかし「祭り職人」たちには決して華やかな表舞台は用意されてはいない。新居浜太鼓祭りを影で支えている黒子としての自負と「祭り職人」の技で応えているのだ。合田氏の縫った飾り幕が、夕陽に輝いて誇らしげに眩しいまでの光を華っている様には言葉は不要だ。

 

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